病気

謙遜美徳

謙遜することが、
正しいと思っていた…

【謙遜】とは、
自分をへりくだり、
相手を立てることですが、

私は、
この【謙遜】に関して、
かなり【敏感】
生活してきたようです。

ネット検索でも
同じような考えだった方、
家族がそうだった方、

様々いらっしゃるようで

まはろん
まはろん
私だけでは
ないんだな…

と少しホッとしました。

しかし、
【謙遜】は、
時と場合により、

【正義】【美徳】とは、
違うんだと知ったのは
30代半ばである
今現在です。

謙遜って良いこと?
元を正せば幼少期から…

自分が幼稚園や
小学生だったの頃の話。

お友達と遊んだり、
親子遠足だったり、
習い事の送り迎えなど、

今で言う【ママ友】たちが
輪になっている光景が、

自分の母と友人の母の
【輪】に重ねられた。

輪になればもちろん、
【話】は盛り上がる。

【ママ友】と言えば、
話の中心はもちろん
【子どもたち】のこと。

◯◯ちゃんって、
◯◯だったのよね〜!
凄いわね〜!!!

なんて、
相手の子どもを
【持ち上げる】ような、

大袈裟だが
【褒め称える】ような
会話もよくあった。

相手を褒めることは
【美徳】
だったのだろう、
大いに盛り上がる。

しかし【褒められた】側の
対応はすごく考えもの
だと思う。

そうなのよ〜、
ウチの子凄いでしょ〜♪

なんてママ…
なかなかいない。

思い浮かぶのは、
【スネ夫の母】ぐらいでは
なかろうか…
(ドラえもんより)

我が家の母親も
例外ではない。

もちろん我が子が
(↑私の幼少期)
褒められた時の対応は
【謙遜】だった。

そんなことないのよ〜、
うちの子、ボーッとしてて…

そんな感じで
その会話に合わせて
私を【否定】した。

文字通り、
【否定された】のだから
傷ついたかもしれない。

でも正直、
私はそこまで
覚えていない。

当時、
どんな【気持ち】
なったのかは、
記憶にない。

ただ、
それを重ねることで、

まはろん
まはろん
相手に褒められたら
やんわりとだが、
違うと否定するのが
【礼儀】なんだ…

【学び】
それが年を重ねるごとに
【身に付いた】

自分を否定されても、
自分を卑下されても、
その時の【気持ち】
覚えていない。

当たり前の【日常】
それだったのだから、

その対応が
【正しい】としか
思えなかった。

言葉にするならば、
その対応が【上品】
気がしていた。

そして、
その対応が【大人の品格】だと
思っていた。

学んだら遊びで活かせ!
謙遜しまくる遊び(笑)

小学校の高学年にかけて
習い事の友人と
【謙遜しまくる遊び】
流行っていた。

あくまで笑いながら

私なんて◯◯だから〜

とどんどん卑下して
へりくだっていく。

そしてそれが、
面白おかしく
馬鹿笑い…

馬鹿笑いは、
【やり過ぎ】
だが、
これこそ私たちが

当時、母親たちの
【井戸端会議】を見て学んだ
【大人の輪の会話】だったんだと思う。

謙遜ヒートアップは
秘書的思考から…

そのまま学生時代は
同じ思考のまま
【突っ走って】いった。

高校卒業前に
母親から勧められ、
学び出したのが
【秘書検定】

その流れのまま
専門学校も
【秘書業務】を学べる
学科へ入った。

幼少期から
自然と身に付いてきた
【謙遜美徳】
の精神が
花開くような
内容の勉強だった。

相手には【尊敬語】
自分には【謙譲語】を…

【立ち居振る舞い】
から全てに至って
【相手を敬う】ことを
学び極めた。

そこで【謙遜美徳】
習うぐらいだから
【正しい】

自分に【念を押した】
ようなものだった。

接客業はまさしく、
謙遜美徳の実践の場!

そこから【社会人】になり
選んだ仕事は
【接客業】

立派な【大手企業】
窓口的な仕事だった。

お客様に対し、
どれだけ工夫して
【謙遜】出来るか?

それがお客様満足度アップ、
そう【CS向上】
繋がる事だと
思っていた。

極めに極め、
沢山の【賞】
頂いた。

そして褒められると
また【謙遜】して過ごす
生活だった。

謙遜により下がる
自己肯定感…

そんな【謙遜美徳】主義な
生活を30年ほど
続けてきて、

母親がそうだったのもあり、
なんら【疑問】なく、

それが【正しい】
思っていた。

【素晴らしい対応】だと
思っていた。

しかし今になって
気付いてしまった
ものがある。

それが、
【自己肯定感】だった。

まはろん
まはろん
自分は、
謙遜して
へり下るべきだ。

そんな考えから、
どんどん【自己評価】
下げていった。

何をやっても私は、
【うまくいかない】し、
【うまくできない】としか
思えなくなっていた。

小学生の頃から、
沢山の習い事で…

大人になってからも
CS向上に対して…

沢山【表彰】して
もらっている。

それ場はもちろん
【誇らしく】思えて
嬉しいのですが、

根底にある
【自分なんて】
消えない。

自分はさておき、
問題点は子どもたちに対して…

【自己肯定感】の低い
自分に対しては
別にそれで生きてきて
異論はなかった。

むしろ【良い事】
だとしか受け取れない。

【問題点】に気付いたのは、
自分の子どもたちの事を
考えた時だった。

そのように
生きてきた私は、

もちろん
長男が産まれても
【同じこと】をした。

長男くん、
すごいね〜!!!

と褒めてもらっても、

まはろん
まはろん
そんなことないよ〜、
お家では◯◯だし、
まだまだだよ!

我が子を【否定】
し続けた。

でも【心の中】でも
我が子を否定している
訳ではない。

もちろん、
1番大好きで、
1番愛している。

もはや会話に
【謙遜】で返すことが
挨拶のように
なっていた。

次男が産まれても
【変わらなかった】

長男に比べ、
歩くことも遅く、
喋ることも遅く、
字を書くことも…

全てが
【マイペース】
次男を、

【謙遜】と言う名の元に
下げずんでいった。

でも次男に対しても
もちろん【否定】したい
訳ではない。

大好きで、
愛している。

やっと気付いた
違和感をどうにかしたい!

そして今になって
やっと…

この【違和感】
気付いたのです。

愛しているのに
下げずんでいる。

心の中と
言葉が
合っていない。

正しくない。
間違っている。

そして、
【自己肯定感】の低さにも
あきあきしている。

なにもかも
【ネガティブ】
捉えてしまう。

だからと言って
【スネ夫のママ】
なる気は無い。

変な、間違った、
【謙遜】
辞めようと思う。

褒めてもらったら
【ありがとう】
感謝しようと思う。

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